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医師の方々への感謝とリヴァプールの試合を楽しめる日が来ることを願って

リヴァプールにキャリアを捧げた10人の選手

7年前の今日、ジェイミー・キャラガーアンフィールドでのキャリアに幕を下ろしました。『The Rock』と称され素晴らしいディフェンダーであった彼は、クラブでの最初のゲームから16年以上たった2013年5月19日、レッズに別れを告げました。

 

リヴァプールの歴史にて、この23番よりも多くの試合を重ねた選手はただ1人しかいません。リヴァプールの公式サイトはクラブの試合出場選手10人を紹介しています。

 

www.liverpoolfc.com

 

1.  イアン・キャラハン -857試合

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1960年のデビューから1978年の退団までの18年の期間に857試合に出場した、クラブ最多出場記録を持つイアン・キャラハン。信じられないほど長年レッズに貢献したミッドフィルダーリヴァプールのファーストチームに上がった時、クラブはビル・シャンクリー監督のもと2部でプレーしており、ボブ・ペイズリーが選手としてUEFAチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)の栄冠にリヴァプールを導いてから数年が経っていました。

選手時代に68ゴール、1965年のFAカップ優勝、5つのリーグタイトル、2回のUEFAチャンピオンズカップ優勝、そしてイングランドのW杯優勝に貢献しました。

彼の記録は未来永劫破られることはないだろう、とクラブは書き記しています。

 

2. ジェイミー・キャラガー -737試合

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キャラガーは彼の最後のシーズンであった12-13シーズンに、公式試合通算700試合出場越えを記録した2人目の選手となりました。リヴァプール生まれの闘将は1996年のデビューから2013年の引退までの17年間をリヴァプールに捧げたワンクラブマンであり、キャリア絶頂の6年間はラファエル・ベニテス監督の元、センターバックとしての評価を確固たるものにしていました。00-01シーズンにはリーグカップUEFAカップFAカップの三冠を達成。長年リヴァプールを支えた鉄人は、7年前の今日ファンからのスタンディング・オベーションを受けてアンフィールドを去って行きました。

 

3. スティーブン・ジェラード -710試合

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ジェラードはアンフィールドでのラストシーズンとなった14-15シーズンに、長年の親友でありチームメイトであったキャラガーに匹敵する公式通算700試合超えを果たしました。

リヴァプールの象徴であったアタッキングミットフィルダーは、アカデミー上がりの選手として17年をリヴァプールで過ごし、右足から繰り出される強烈なミドルシュートに代表されるプレーやメンタリティーで、キャプテンマークをヘンダーソンに譲るまでクラブを牽引し続けました。レッズのキャプテンとしてUEFAカップFAカップリーグカップを掲げ、アンフィールドを熱狂させてきました。

 

4. レイ・クレメンス, エムリン・ヒューズ -665試合

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リヴァプールのキャリアにて、クレメンスとヒューズは公式通算665試合に出場しました。クレメンスは14年間リヴァプールを代表とする名ゴールキーパーとして活躍し、ヒューズは無尽蔵のスタミナと強烈なミドルを併せ持つボランチとして12年間リヴァプールに在籍しました。どちらも共に1967年、ビル・シャンクリー監督との契約にサインをし、国内では史上最強と称されたクラブの黄金期と、当時の欧州での成功になくてはならない選手でした。この2人のイングランド人が共にリヴァプールに在籍している間に、チームは4つのリーグタイトルと2つのUEFAカップ、2つのヨーロッパカップFAカップを勝ち取りました。

 

6. イアン・ラッシュ -660試合

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イアン・ラッシュ以上にリヴァプールでプレーし続けたストライカーはいません。また同時に彼以上に全ての試合で得点を量産したストライカーもまた、いないでしょう。リヴァプールで346ゴールを記録、8年間のリヴァプールでのプレー後一度はユベントスヘ去るも、88年に復帰。それからこのウェールズ人はアンフィールドのファーストチームで8年間プレーし続け、類稀なる得点力で数多のトロフィーを掲げてきました。計16年間をリヴァプールで過ごし、2つのUEFAチャンピオンズカップ、5つのリーグカップ、3つのFAカップを勝ち取り、黄金期のストライカー、忘れられることのないクラブのレジェンドとして名を残しました。

 

7. フィル・ニール -650試合

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ニールのリヴァプールでの11年間は、8つのリーグタイトルと4つのヨーロッパカップを含む輝かしい時代であり、しばしばディフェンダーながらもクラブ史に残る重要な得点を挙げたことから、ブラジルのレジェンドであったジーコのニックネームで親しまれました。

監督であったボブ・ペイズリーとサインし、74年にノーザンプトン・タウンから移籍した彼は、75年から85年までのリヴァプールでの10年間の実績から考えてもとんでもない掘り出し物であったと言われています。ディフェンダーとしてPKの名手としても知られ、ディフェンダーとして決めた59ゴールのうち38ゴールがPKによるものでした。

 

8. トミー・スミス -638試合

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1963年5月のリヴァプールでのデビュー以来、『アンフィールドの鉄人』と呼ばれたスミスは1975年までの12年間ディフェンダーとしてプレーし続けました。シャンクリー監督の薫陶を受けた彼はラストシーズンであった75年に黄金世代のレギュラーとしてFAカップを勝ち取り、アンフィールドを去りました。粘り強いディフェンスで知られ、タフで頑強であったスミスはリヴァプールで3年間キャプテンとしてプレーし、48ゴールを記録。4つのリーグカップとヨーロッパカップを勝ち取りました。

 

9. ブルース・グロベラー -628試合

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グロベラーはリヴァプールのファーストチームで13年間にわたって活躍。ジンバブエ史上最高の、そしてクラブの最も偉大なゴールキーパーの1人として名を残しています。1981年の3月にクラブと契約し、アンフィールドでのキャリアをスタートさせ、最初の5年で300試合以上ゴールマウスを守り続けました。クラブを去るまでに6つのUEFAチャンピオンズカップとヨーロッパカップ、3つのFAカップと3つのリーグタイトルを勝ち取る輝かしい成績を残しました。

 

10. アラン・ハンセン -620試合

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ハンセンはレッズにて600試合を超えるプレーをした10人の最後の選手であり、1977年の加入から90年の引退まで14年間プレーし続けたスコットランドディフェンダーです。

エレガントなプレーでファンを虜にしたセンターバックは、丈夫で知的な人物としても知られ、3つのリーグカップと3つのヨーロッパカップ、2つのFAカップに多大な貢献をしました。85-86シーズンにはキャプテンマークを巻き、数多のタイトルを獲得した黄金期を支え、リーグ3連覇を成し遂げたリヴァプールの英雄の1人です。